はじめに
この記事について
以下のイベントにて「"屈曲型キャリア"は一つのモデルとなるか〜50代フリーランスの新たな挑戦」というタイトルで喋ってきたので、それの解説です。
10分しかなかったので、トークではコンテキストの説明を一部端折ってしまいましたが、本記事ではできるだけその辺も補足して書いておこうと思います。
前提
イベントのテーマ
connpass のイベントページに以下の説明がありましたので、それを引用します。
多様化するキャリアパスの中で、私たち一人ひとりが輝ける場所を見つける。そんな小さな、しかし大きな一歩を踏み出すきっかけになればと考えています。
たしかに、昨今ソフトウェアエンジニアのキャリア関連において新しい概念が登場しています。たとえば、EM(エンジニアリングマネジャー)、IC(個人貢献者)、スタッフ(スタッフプラス)、なんかは私が30代だった20年前にはなかった概念です。
ただ、定義する言葉がなかっただけで、そのような働き方や役割をしていた人たちは存在していました。なので、一見近年多様化したように思えますが、元から多様だったが、概念や言葉が定着して、より一般化、可視化されただけ、というのが私の認識です。
ターゲット
本記事は以下の方々を読者と想定しています。
途中断絶はあるものの、フリーランスとして15年働く中で、業務委託に求められる役割や関わり方が変化していていると感じるところが多々あります。単に会社によってあるいは人によって異なるってだけなのか、全体として時代の趨勢によるものなのか、自分自身のやり方が変化したからなのか、理由はわかりませんが、ずいぶん柔軟になったよなぁという感想はあります。
ただ、後ほど話しますが、キャリアに関しては、正社員とフリーランスの違いはどんどん小さくなっており、働き方や役割において、すでにかなり侵食しあってきていると感じています。なので、フリーランスという選択とは無縁の方にもあるていどは参考になるのではないかと思っています。
”屈曲型キャリア”とは
元ネタ(?)は以下の本です。
キャリアが必ずしも一貫して直線的に進むものではなく、曲がりくねったり方向転換をすることがあるという考え方 ― ChatGPT による要約
"Squiggly Career" という概念がまだ日本語訳されていないようでしたので、私が勝手に「屈曲型キャリア」と訳しました。
ある概念が名前付きで抽出されることが、その概念が「モデル」になるための必須条件だと思っているので、まだ日本では「屈曲型キャリア」はモデルになっていない、というのが私の認識(であり本エントリーのタイトル)の前提になっています。
過去編
私のキャリアの変遷
ざっとですが、私がどんなキャリアを辿ってきたか説明します。およそ25年を振り返ると結果的にだいぶ屈曲してしまいました。
35歳まで
最初の会社は、コンピューターメーカーの下請けの会社でした。ここで低レイヤーからウェブまでさまざまな経験ができたことが、のちのキャリアの礎になっています。 28歳で年収云々と書いてますが、これは別に自慢ではなくて、ここで自分の金銭欲の頂点が分かった、という点で、大事なポイントだったなと思うからです。そこから先は、仕事のやり甲斐や楽しさのほうを優先することになりました。
35歳で部長を経験できたことは大きかったです。本当はマネジャーにはなりたくなかったんですが、客観的にみて他に適任者がいなかったのと、一回経験しておくのも悪くないかもと思ったからです(結果的には、2年弱で辞めることになるんですが)。
35歳から インフラエンジニアといっても、半分以上は情シス的なロールで、ほかにも人事と兼任だったりして、一般にいうインフラエンジニアとは少し異なります。 40歳でフリーランスになってから、本格的にウェブアプリケーションの世界に浸かり、そこから10年はほぼウェブアプリケーションの開発しかしていませんでした。 45歳くらいから燃え尽き始めたというか、ウェブアプリケーションを作るのに飽きてしまったというか、引退を考え始めます。完全な引退というよりは、週に2日くらい軽く働いて、まったり生きるのを夢想していました。
そんな状況でコロナ禍に入ったので、正式に(?)セミリタイアすることにし、結果的に2年弱ほぼすべての仕事を止めました。
時系列で見ると上のようなリニアなイメージになるんですが、スキルマップ的に見ると、以下のように行ったり来たりしているため、激しく屈曲しています。
現在編
以前一緒に働いたことのある知り合いから、また一緒に働きませんか?という提案があり、飲みに行って話したところ盛り上がってしまったので、復帰を決めました。正直にいうと、無職を満喫しており、仕事を再開するつもりはまったくなかったんですが、盛り上がってしまったので、引き受けました。結果的には引き受けてよかったです。その後似たようなお誘いがあってもう一つ仕事を増やすことになりました。
いまやっていることは、引き続きプロダクト開発はやりつつ(コードはできるだけ書いていきたいという思いがあります)、データマネジメント、エンジニアリングマネジメント、プロジェクトマネジメントを中心に取り組んでいます。
30代で半ばいやいやマネジャーになったときに比べるといまはとても楽しいです。そのときそのときの自分の価値観と関係あると思うんですが、自分の成果よりもチームメンバーの成果のほうがうれしいっていうマインドに変化したのが大きいです。
自分の提案に対して、それを快く受け入れてチャレンジさせてくれているいまの現場のみなさんに感謝しつつも、やはり現場としては「重要度は高いが緊急度は低い」みたいなタスクをこなすポジションの人を求めている部分もあるので、そういったところにぬるっと入っていけるようなスキルだったりマインドだったりを持ち続けることが、これからもお仕事をいただく上で重要なことなのかな、と感じています。
未来編
過去・現在から導く個人的な未来予想
自分自身のことと外部環境のことが一緒くたになってますが、ざっと挙げると以下のような事柄が思い浮かびます。
変わらなそうなこと
- "だれかの役に立つこと"がモチベーションになること
- 学びたいという気持ちがあるかぎり続けられそうであること
- ソフトウェアが多くのビジネスにおいて重要であり続けること
- 仕事は人と人との協働によって成り立つこと
変わりそうなこと
- 会社や事業が必要としていること
- 自分の気力、体力はともに減少の一途であること
- 物理的にコードを書く量は減っていきそうであること
- 働き方の多様化は止まらなそう
Because believing that the dots will connect down the road will give you the confident to follow your heart. Even when it leads you off the well-worn path, and that will make all the difference. ― Steve Jobs
(いずれそれぞれの点が繋がると信じていれば、自分の心に従う自信が持てるでしょう。たとえそのせいでレールを外れることになったとしても、それが大きな違いを生み出すことになります。)
Steve Jobs が2005年にスタンフォード大学の卒業式で行った有名なスピーチの中の一説です。(後付けかもしれませんが)「Connecting the dots(ひとつひとつの点が繋がって全体になる)」という考え方が大事であると説いています。
"屈曲型キャリア"は一つのモデルとなるか
すでになってるよ、という感想をお持ちの方もいるかと思います。たしかに、話を聞いてみると、キャリアが屈曲している人は実態としてたくさんいます。が、「モデル」になるためには、まだ概念の浸透というか、言葉による共通認識もない状態なので、まだモデルにはなっていないと感じています。それは、キャリアラダーとの対比で考えると、ラダーという言葉が示すイメージによってキャリアの成り立ちがパッと思い浮かぶ一方で、そうでない形(ここでいうところの「屈曲型」)はイメージしにくいので、個別事例としてはたくさんあるんだろうと思いつつも、共通認識として持てるかというと微妙な感じがしています。 それでも、以下のような外的要因によって、屈曲させざるを得ない状況になる確率は上がっていると思われるので、近い将来、Squiggly Career かどうかはわかりませんが、モデルとして認知されるようになるんじゃないか、と期待を込めて思っています。
- VUCAの時代、柔軟性と適応力がより求められるようになるのではないか → 結果的に屈曲するかもしれない
- 少子高齢化の時代、年齢による区別はより少なくなるのではないか → 年をとっても屈曲させ続けなければならないかもしれない
- 生成AIの時代、情熱と自己主導がより求められるようになるのではないか → 自ら進んで屈曲させていかなくてはならないかもしれない
モデルになるということは、「そういう形もあるんだ」という認識が生まれることに繋がるので、「キャリアとはこういう(直線的である)もの」と思い込んでしまっている方にとって、自分のキャリアプランを考えるための手助けになるはずです。
「RANGE」という本の中に以下の一節があります。
「本当は、私は何になりたいのか」という問いに鉄壁の答えを出そうとするよりも、自分自身の研究者となって、小さな問いを立てて実験してみるほうがいいということだ。 ― デイビッド・エプスタイン. RANGE(レンジ) 知識の「幅」が最強の武器になる
私はこの「自分自身の研究者となって」という考えを気に入っていて、いかに自分の脳を気持ち良くさせるか(つまり幸せと感じるか)試行錯誤することを楽しんでいます。直進するか屈曲するかはあくまでも結果であって、ひとつひとつの点をいかに自分の財産にできるかが大事なんでしょうね。
おわりに
「私たち一人ひとりが輝ける場所」それはこの広大な世界の中で、私たち一人ひとりが自らさまよって見つけ出す必要がある、また、そうやってたどりつくことでいっそう輝く場所になる、そういう場所なのかもしれません。